2016年07月19日

日本語教師の仕事のし方

関西の山奥に長年住んでいたわたしにとっては、関東平野の遮るものが何もない暴力的な日差しは辛いです。
諦めて今日はエアコンの除湿をつけました。まだ冷房にしないのが、せめてもの抵抗。
皆さま、熱中症にはお気をつけください。

この度、先日書いた記事がブログ村の「日本語教育」の注目記事1位になったようで、感激しております。
ひっそりこっそり書いているこのブログも、どこかで見てくださっている方がいるかと思うと、有り難いことでございます。

さて、最近、養成講座の教育実習が終わりました。
わたしは偉そうにも指導担当をしていたわけですが、そこでの実習生の方の声が強く耳に残りました。
その方は実習生さん同士で雑談をされていただけなのですが、思わず耳をダンボにして聞いてしまいました。

(新しく就職した先の日本語学校で)担任の先生とか専任の先生もお忙しいみたいで、なかなか質問とかできないし、しづらいから、授業でどうやったらいいかとか悩んでるんだよね。だって、普通の仕事だったら、先輩の仕事を見ながらとか、質問しながら仕事を身につけていくものなのに、それができないでしょう。授業を見られるって抵抗がある先生も多いみたいだし、見せてくださいって新人は言いづらいよね。

これは大変な問題だと感じました。

渡り鳥講師(非常勤→専任→他職種→専任→非常勤(←イマココ))を経験してきたわたしから言わせていただくと、授業を見せない中堅~ベテラン教師は良くないです。
ただし、やたらと授業を見たがる新人~2,3年め教師も良くないです。

まず、自分の授業を見せない先生。
やはり、後進を育てるという意味ではよくないでしょう。
新人は授業を構成する、授業をうまく進めるための「取っ掛かり」が欲しいのです。
はっきり言って、授業を見たからと言って、同じ授業はできません。
だって、ベテランと新人ですから、技量の差は歴然としています。
いちばんの差は、「慣れ」です。
臨機応変に対応できる力とでも言えばいいでしょうか。
それを含めての「授業」ですから、新人には到底真似できるものではありません。
しかし、それでも新人は仕事をうまく進めるための、最初の一歩をベテランから吸収したいと思っているのです。「自分は見せてもらえなかった。だから自分も見せるつもりはありません」というのは、ただの育成放棄だと思うのですが、いかがでしょうか。
あと、非常勤の先生が話しかけにくいな、と思うような専任の先生、担任の先生は困りますね。
わたしも、よく「忙しそうだから」と言われましたが、非常勤の先生に話しかけられたとしたら、できるだけすぐに対応するか、どうしても手が離せない場合は「少しだけ待ってくださいますか」と必ず了承をとっていました。今の学校では、専任の先生、担任の先生ともに、きちんとお話を聞いてくださる先生が多く、恵まれていると感じています。

さて、視点を変えて。
「とりあえず、先輩の授業を見たいんです。見れば何とかなると思うんです」といった軽い気持ちで見学を希望する人はお断りです。
以前にも書いたことがあるのですが、「よかったです。楽しい授業でした」なんて感想しか出ないような見学者には見せたくありません!
プロの教師として、自分と何が違うのか、自分ならこのように構成するところを、先輩はこのように構成していたので参考にしたい、という比較検討をするぐらいの気持ちで真剣に授業を見てほしいのです。
授業の準備には時間がかかります。それは人によるかもしれませんが、ストレスです(だって、給料発生しないんですもの)。でも、それは学生のため、と思うからこそ頑張れるのです。
そこに見学者がいる、しかも同業者、ということなら、さらにストレスは加算されるでしょう。
だって、いつもの自分を発揮できないかもしれないのですから。これは、普通の「会社へ行ってその場でする仕事」とは大きく違います。だから簡単に見せられないのです。
それでも見せてくださっていることに、感謝をしつつ、自分にできる範囲で最大限吸収することが、相手への御礼につながるのではないでしょうか。

わたしには授業を見せたことで嫌な思い出があります。
それは、日本語教師として同じ学校で勤務する、という前提で見学に来られていた新人の先生が、さんざん授業を見たあとで(わたし以外の先生の授業も多く見学していた)、一身上の都合により辞められたことです。

同僚に愚痴りましたよ。「ただ(授業を)盗まれただけだ!」って。

でも今では、それが回りまわって、少しでもどこかの学生さんの役に立っていればいいや、と思うようになりました。まあ、その方が日本語教師を続けてくれてさえいればいいやって感じですね。

授業の見学についてはいろいろな考え方があると思いますので、その職場毎、その先生毎に確認をとって、よりよい授業ができるようになればいいですね。

少しでもいい授業が増えますように。

↓ランキングに参加しています。よろしければ、ぽちっとお願いします。
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へ
にほんブログ村


posted by 穂村香 at 18:18| Comment(0) | 先生 | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

「子」って言わないで

お久しぶりの更新です。
なかなかコンスタントに更新するのは難しいですね。反省しています。

さて、標題の件ですが、この業界、女性の先生が多いことは周知のとおり。
特に、私のように大学卒業してからずっとこの業界1本(途中離脱した経験ありですが)で過ごしている変わり者はそうそういないわけで。
他の社会経験をしっかり積まれた次のステップとして、または家庭でしっかり子育てを終えてからの第二の道として、この仕事を選ばれていらっしゃる方が多いです。

そのような方に共通しているのが、学生を「あの子」などと「子」という呼称で呼ぶことなんですね。
自分のお子さんと同年代だから、という方もいらっしゃいますが、多くは「子どものように見えるから」という理由でそう呼んでらっしゃる方もいるのではないでしょうか。

つまり、「私はこの子たちに日本語を教えるとともに、日本の文化や習慣までも教えるなきゃ!」と意気込んでいるせいで、学生らを実際の年齢以下に見てしまっているのではないかと思うわけです。

確かに、学生らは日本語学習期間が短ければ短いほど、言葉が拙いせいで、子どもっぽく見えてしまうことがあります。
また、留学という自国とは違う環境がそうさせるのか、実際の年齢よりも子どもっぽく振る舞う人もいます。

けれども、来ている学生らは、ほぼほぼ20歳前後の大人なわけで。
それを、無意識にしろ「子」と呼ぶのはどうかと思うのです。

学生らは敏感です。
子ども扱いされてるな、ということだって、言わないだけですぐに読み取ります。
特に、アジア圏の学生らに対して、日本語教師はそのような態度を取りがちです(と、私は感じています)。

なぜこんなことを思ったかというとですね。

この間学生らから、お手紙をもらったのです。
本来は「メールの書き方」という授業で行ったメールの文章のなのですが、勢い余ってみなさん私へのお手紙を書いてくれたのです。

その中に、本当にはっとさせられるお手紙がありまして。

「先生が来る前(私は彼らが入学してから半年後に今の学校に勤めるようになったので)、全部の先生が私たちは良くない学生だと言いました。私たちのクラスが学校でいちばんうるさいクラスだと言いました。でも、先生だけ言いませんでした。私たちをいつも褒めてくれました。ありがとうございました」

という内容でした。

恐らく、以前の先生方は、よかれと思って厳しいことをおっしゃっていたのでしょう。
ただ、そこに「子」に対する気持ちが少しなりともあったのではないでしょうか。
もしかしたら、私の深読みかもしれません。けれど、学生らは言わないだけで、言えないだけで、いろんな考えや気持ちを心に抱えているはずです。

私が反対にこのクラスで厳しいことを言わなかったかというと、絶対にそんなことはありません。
自信を持って言えます。
黒板を叩いて(恥ずかしい・・・)、大声で注意したことだって何度もあります。
ドスの効いた声(と最近同僚によく言われます。これも恥ずかしい)で、静かに怒りを表したことも多々あります。

ただ、いつでも私が心に持っていたのは、「日本語学校は小学校や中学校や高校とは違う。教育の方針は似ているかもしれないけれど、私が接しているのは、れっきとした大人だ」という気持ちです。

だから、褒めるときは褒める、注意するときは注意する。ただし、日本人の大人に接するのと同じようにです。
「わーすごいですねー」なんて褒め方をする先生もいますが、馬鹿にされたと思われては本末転倒です。

だから、全ての日本語教師の方にお願いです。
「子」という呼称をやめませんか。
まずは呼び方から、「あの人」というように変えてみませんか。


終わりに・・・
夜中にブログアップするのは危険ですね。
説教くさくなってしまっていたら申し訳ないです・・・
学生らがもうすぐ卒業かと思うと、ちょっとおセンチな気持ちになってしまいまして。
今後は昼間に更新することにします。


にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へ
にほんブログ村
posted by 穂村香 at 23:28| Comment(0) | 先生 | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

教師は指揮者と同じです

指揮者の勉強をしたことがないので、偉そうに言うのはちょっと気が引けますが。でも、基本は同じだと思うのです。

素人が、オーケストラの指揮をしたとします。その時、主導権を握っているのは恐らくコンサートマスターであり、また、演奏者の1人1人です。
指揮者はオーケストラが作ったテンポ、フレーズに合わせて指揮棒をただ振っているだけになります。これは残念。

プロの指揮者は、自分がリードして、自分が思う音楽を演奏者に奏でさせます。だから、リズムもイメージもほぼ指揮者が描いたものに近いはずです。たぶん指揮棒はコンマ数秒、実際の音楽より早く動いているような気がします。

日本語教師も全く同じです。
主導権は学生ではなく、教師にあり!
学生に合わせていては、ダラダラとしてしまったり、好き勝手して、全く思うような練習ができなくなってしまいます。

暴れ馬の手綱を引く気持ちで、修正しなければなりません。
学生が教師のテンポ、スピードに合わせなければいけない、と認識すればこちらのものです。

主導権を握る、というのは、教師が喋りまくってコントロールするとか、学生を無視した授業展開をする、というのではありません。

例えば、わたしがやっていることは、
簡単ですが、姿勢を正させること。これは世界共通のようで、集中するとどこの国の人でも背中が伸びます。
だから、肘をついたり、机に突っ伏している人には、「ペンを持ってください」と「メモしてください」の声掛けをします。
あとは、「前を見てください」「こちらを見てください」と意識をどこに持つべきかを具体的に指示します。

次に、応答スピードのコントロールです。質問に答えられない人は、本当に日本語が理解できない場合と、聞いてないからわからない、つまり集中してないから答えられない場合があります。
前者の場合は、できるだけ最初にはあてない。誰かが答えたことをもう一度言わせるなど、その人ができそうな質問をするよう心がけます。

問題は後者の場合。
これは、聞いてください、と注意しても無駄なことが多いです。そもそも授業を聞いてないのに、注意を聞くわけがないのです。
だから、答えられなかった場合は、別の人にさっさと質問を移します。
言葉は悪いですが、無視するのです。
そうしたら、プライドが傷つきます。
聞かないと、という意識がちょっと出ます。これを何回か繰り返します。

で、また当てます。
今度は答えられます。この時、ものすごく褒めます。これがポイントです。
そうすると、少しずつですが、ちゃんと授業に参加するようになります。

わたしが接しているのはアジアの人が多いので、それで有効なのかもしれません。欧米の人なら怒り出すかもしれませんね。でも、聞いてないから悪いのですよ、という態度でこちらは臨みます。そうすると、この先生の授業は聞いてないとヤバイな、という雰囲気になります。

これで、主導権を得ることができました!

後はこちらがいい授業をするだけです。
スピーディにテンポよく。
指揮者になったつもりで学生と演奏したら、楽しいですよ〜。

今日、新人の先生が授業から戻ってくるなり「戦争だった…」とぐったりしていたので、思わずこれを書いてしまいました。頑張れ!

ちなみに…

主導権を握りすぎると、
アイツは怒らせたらマズイ
という雰囲気になって、悪気なく恐れられるようになります…
例えばわたしのように…しくしく。

↓いつもありがとうございます。
ランキングに参加しています( ´ ▽ ` )ノ
にほんブログ村 教育ブログ 日本語教育へ
にほんブログ村
posted by 穂村香 at 20:14| Comment(0) | 先生 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。