関東もようやく梅雨明けしました。
夏休み!という感じの青空と入道雲に、少しだけうきうきした気持ちになりながら、学校へ行ってきました。
先日、「日本語教師は簡単になれる仕事じゃないんだ。日本人だから教えられそう、なんて言う人はダメだ!」と偉そうに述べましたが(主旨としては、上記と同様の理由で政治家を目指すのはよろしくないのでは、というものだったのですが)、少し考え方を変えました。
なぜかというと、養成講座での新学期が始まったのですが、上記の理由で講座を受講されている方がいらっしゃったのです。これ教鞭をとる側としては大変にキツいです。
養成講座の受講生を募集するときに、ちゃんと精査してくれれば・・・と思いつつ、経営面等からそのような選り好みはできないのだろうなあ、と考えてみたり。
日本語教師って、まだまだ地位が低いんだなあと、改めて肩を落としてみたり。
弁護士の資格がない人に弁護を頼もうと思う人はいないのに、医師免許がない人に手術を頼もうと思う人はいないのに、パイロットでない人が操縦する飛行機に乗りたがる人はいないのに(しつこい)、資格がない人にでも日本語を学ぼうとする人は多いのは、やはり、専門職という認識がないからなのでしょうね。
あと、上記と比べると、割と簡単に資格がとれるということも関係しているのでしょうか。
少し考えてみれば、自分が目指そうと思う職が「誰でもできそうなもの」なんて言うことは、自分を低めているようにも思えるのですが、世間ではそうではないのでしょうね。
ですが、よくよく思い出してみると、自分が日本語教育の世界に入ったとき、志高く「日本語教師になりたい!」と思っていたわけではありませんでした。
それこそ、恥ずかしいぐらい「何となく」で携わったこの業界、日本語教師になってからも、自覚が芽生えたのはずいぶん時間が経ってからでした。
ということで、標題どおり考え方を変えました。
ちゃらんぽらんだったわたしが、少しなりとも偉そうに日本語教師はどうあるべきか、と考えるに至るようになったのは、なんと言っても先輩諸氏のおかげなのです。
ならば、今度はわたしがその役目を果たさなければなりません。
「日本語教師ぐらいにならなれそう」と思っている人に、「日本語教師ってこんなに真面目に取り組んでいる専門職なんですよ」と伝えること、「日本語教師ってこんなに面白くて魅力的な仕事なんですよ。だからこそ、誰にでもできるような仕事ではなく、情熱を持って取り組まないと辛いですよ」と伝え、心から「日本語教師になりたい」と思ってくださる人を一人でも多く増やそう、という考えに変えました。
これ、学生に日本語を教えるよりずっと難しい課題であるような気がしますが。
養成講座で教えたいと思ったのは自分なので、難関ではありますが、挑戦のしがいはあります。
恐らく今後何度もぶつかるであろう難関ですが。
また夜に更新してしまったので文章が暑苦しいですね。
まあ、夏だからこそ、ということで・・・。
↓ランキングに参加しています。よろしければ、ぽちっとお願いします。
にほんブログ村