指揮者の勉強をしたことがないので、偉そうに言うのはちょっと気が引けますが。でも、基本は同じだと思うのです。
素人が、オーケストラの指揮をしたとします。その時、主導権を握っているのは恐らくコンサートマスターであり、また、演奏者の1人1人です。
指揮者はオーケストラが作ったテンポ、フレーズに合わせて指揮棒をただ振っているだけになります。これは残念。
プロの指揮者は、自分がリードして、自分が思う音楽を演奏者に奏でさせます。だから、リズムもイメージもほぼ指揮者が描いたものに近いはずです。たぶん指揮棒はコンマ数秒、実際の音楽より早く動いているような気がします。
日本語教師も全く同じです。
主導権は学生ではなく、教師にあり!
学生に合わせていては、ダラダラとしてしまったり、好き勝手して、全く思うような練習ができなくなってしまいます。
暴れ馬の手綱を引く気持ちで、修正しなければなりません。
学生が教師のテンポ、スピードに合わせなければいけない、と認識すればこちらのものです。
主導権を握る、というのは、教師が喋りまくってコントロールするとか、学生を無視した授業展開をする、というのではありません。
例えば、わたしがやっていることは、
簡単ですが、姿勢を正させること。これは世界共通のようで、集中するとどこの国の人でも背中が伸びます。
だから、肘をついたり、机に突っ伏している人には、「ペンを持ってください」と「メモしてください」の声掛けをします。
あとは、「前を見てください」「こちらを見てください」と意識をどこに持つべきかを具体的に指示します。
次に、応答スピードのコントロールです。質問に答えられない人は、本当に日本語が理解できない場合と、聞いてないからわからない、つまり集中してないから答えられない場合があります。
前者の場合は、できるだけ最初にはあてない。誰かが答えたことをもう一度言わせるなど、その人ができそうな質問をするよう心がけます。
問題は後者の場合。
これは、聞いてください、と注意しても無駄なことが多いです。そもそも授業を聞いてないのに、注意を聞くわけがないのです。
だから、答えられなかった場合は、別の人にさっさと質問を移します。
言葉は悪いですが、無視するのです。
そうしたら、プライドが傷つきます。
聞かないと、という意識がちょっと出ます。これを何回か繰り返します。
で、また当てます。
今度は答えられます。この時、ものすごく褒めます。これがポイントです。
そうすると、少しずつですが、ちゃんと授業に参加するようになります。
わたしが接しているのはアジアの人が多いので、それで有効なのかもしれません。欧米の人なら怒り出すかもしれませんね。でも、聞いてないから悪いのですよ、という態度でこちらは臨みます。そうすると、この先生の授業は聞いてないとヤバイな、という雰囲気になります。
これで、主導権を得ることができました!
後はこちらがいい授業をするだけです。
スピーディにテンポよく。
指揮者になったつもりで学生と演奏したら、楽しいですよ〜。
今日、新人の先生が授業から戻ってくるなり「戦争だった…」とぐったりしていたので、思わずこれを書いてしまいました。頑張れ!
ちなみに…
主導権を握りすぎると、
アイツは怒らせたらマズイ
という雰囲気になって、悪気なく恐れられるようになります…
例えばわたしのように…しくしく。
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